TOPページ

※これは常にTOPに表示される記事です。

日記はこちら
雑文はこちら
各受験教材のまとめはこちら
課外活動についてはこちら
読んだ本のまとめはこちら
大学の各授業のまとめはこちら
Twitterアカウントはこちら

日記一覧【2017/04】

【2017/04/16 Sun】

4月 第3週
【2017/04/17 Mon】
【2017/04/18 Tue】
【2017/04/19 Wed】
【2017/04/20 Thu】
【2017/04/21 Fri】
【2017/04/22 Sat】
【2017/04/23 Sun】
今週の振り返り

4月 第4週
今週の予定
【2017/04/24 Mon】
【2017/04/25 Tue】
【2017/04/26 Wed】
【2017/04/27 Thu】
【2017/04/28 Fri】
【2017/04/29 Sat】
【2017/04/30 Sun】
今週の振り返り

浪人時代

数年ぶりにEvernoteログインしたらあった。
浪人最終年の一年前

ノート1
ノート2
ノート3
ノート4
ノート5
ノート6
ノート7
ノート8
ノート9
ノート10
ノート11
ノート12
ノート13
ノート14
ノート15
ノート16



f:id:hurends:20170618185655p:plain f:id:hurends:20170618185735p:plain


大学入って1年目に書いた増田

20歳の俺に伝えたいこと


・お前の抱えている悩みの大半は親への負い目に起因する。さっさと大学行ってバイトでいいから自分の力で金を稼げ。そうすれば解決する。

・大人っていうのは大人という役割を演じている人たちのことだ。薄々勘づいてはいるだろうが一皮むけば今のお前と殆ど変わりはない。まぁ、その一皮が大事だったりするんだが。とにかくお前が考えてるよりかは遥かに簡単に成れる。心配するな。

・お前の眼には周囲の人間が立派に、さも世の全てを達観しているかのように映るだろうし、実際そういう風に振る舞う人もいる。
だがそいつらも一皮むけば大してお前と変わらん。等身大の悩みを抱え、日常のささやかなことで一喜一憂する、お前と同じ人間だ。
お前の言う通り世の中は分からないことだらけだ。
だが分からないことをさも分かっているかの様に振る舞うことで世の中は回っている。分からないことが分からないのは、みんな一緒だ。

・数年後には良いパートナーに恵まれるぞ。これはお前の努力の成果だ。良かったな。

高校時代に通った新都心のカフェone or eight デイル・ドーテン著「仕事は楽しいかね?」を読む。

「変化し続けろ」というのがこの本の根底にあるメッセージで、読みながら自分の勉強法について思うところがあった。 作中、「学校だとか自己啓発書で飽きるほど言われている、目標をまず立てその達成のためにトライアルアンドエラーを繰り返すという目標漸近型の行動様式に疑問をもて」というのがあった。ルーチンワーク化することは行動のための意志コストを減らすのに役立つけど、同時に硬直化、思考停止、視野狭窄の危険もまとう。なによりただ決められたことを何も考えずにこなすという、当事者意識の希薄化した作業は、面白くない。これだけで1日の大半が潰れるような生活が1年も続けば、ほぼ間違いなくどこか精神が病むと思う。

このLINEのグループに勉強したことをなるべく具体的に、誰かに説明するみたく書いて投稿する作業は、日々の勉強のマンネリ化を防ぐのに役立っていて、もっと積極的に、ほかにも色んな趣向を凝らしながら利用していこうと思っていて、勉強は、たとえ受験勉強の最終ゴールが"受かること"ただひとつだとしても、そうやって当事者意識を自分のなかで醸していき、楽しむ工夫をすることは、それが「最短距離で成果をだすこと」と時にはコンフリクトを起こすことだとしても、最終的にはそれが正しい道だと思っている。「試し続け、変わり続けること、あるべき状態より、より良い状態であること」もこの本のメッセージで、もっと長いスパンで物事を考えたとき、日常のマンネリを打破し、楽しみを創り出し続けるには、こういう姿勢が必要なのだ。きっと。

スマホ用のキーボードを買った。これで短時間にもっと多くの文字入力ができる。 いろいろ試していかなきゃダメなんだ。そうするのが結局近道な気がする。

姉の結婚式に出て自分の将来といまの境遇についてぼんやりと思いを馳せる。

四浪もしていると聞くとさすがに良い顔をする人は稀で、姉と出身高校が同じなので来賓の先生たちのなかに自分の知ってる人たちが混ざっていて、みな眉をひそめたり「まぁ、がんばってね」というようなことを言う。親戚のなかには「医者になるだけが道じゃないんだからさ…」と諦めることも大事だと諭す人もいた。

そういう人に、反発はしない。

“身体の芯からなりたいものになる"ことが大事で、それがなんなのか見極めることも大事なのはわかるのだけれどもわそれと同時に日々を新しく生きることも大事で、親戚の説く"諦めの境地"へのカウンターは、1日1日を全力で走り続け、日々刷新し、楽しむことなのだろう。

姉の結婚式のため、陰鬱な離島から抜け出して、久しぶりに那覇に出向く。初日はジュンク堂だけで時間が潰れた。本の品揃えがコーヒーの搾りカスみたいで、床にゴミが落ちて塵が舞う(本当に)、荒み切った島の心象風景を反映したような書店しかない離島とは違い、那覇には人文書がそこそこ充実したジュンク堂があるから最高だ。 そこの東京の人、笑わない。

今日は二泊三日旅の最終日。高校時代、自習をしにしばしば通ったカフェに行く。そこに置いてあった「仕事は楽しいかね」を今読み終える。

昨日の姉の結婚式の二次会、新郎側の親戚とも交流すればいいのに、会場は新郎側新婦側がそれぞれ別で、集まったのは盆に集まるのと変わらない顔ぶれ。

さっさと帰りたいねと弟と顔を見合わせ、ジュンク堂で買った論語の本をテーブルの下に隠して読む。弟はスマホをいじる。テーブルを挟んで向こう側に腰を下ろしてあぐらをかいている親戚のオヤジのひとりが「疲れているのか」と話しかけてくる。テーブル下の本を読んでいるのを疲れて俯いていると勘違いしたらしい。はは、まぁとはぐらかして本をテーブル下の座敷の上に伏せて隠す。しばらくおじさま達の演説を聞くともなしに耳を傾ける。飽きる。本を読み出す。さっきのオヤジがあからさまに怪訝な顔をする。自分の世界に浸るんじゃない、と明らかにさっきよりイライラを募らせてきているのでこれはマズイとあたふたしていると、隣にゆうちょの保険営業マンの叔父が腰を下ろした。手元に隠してあった本にチラリと視線をやると、「俺も若いころ、プータローしてたころはよく本を読んだけどなあ」と切り出す

人間の寿命が80歳くらいだとして、健康に生きられるのが、男だとせいぜい70くらい。いま22のお前に残されたのはあと50年くらいだ。お前はいま色々と迷ってこういう本に手を出したりしてるのかもしれんが、迷っているうちにあっというまに時間は過ぎる。短い人生でできることはたかが知れていて、まだ若いなどとタカをくくっていたらすぐに時間は過ぎる。 お前はこうやって本を読んで何かを積み上げでいくことでいつかどこかに辿り着くと思っているのかもしれんが、現実に必要なのは決断だ。決断ってことはほかの可能性を捨てることだ。 仕事ではまず始めに目標を設定して、そこからやるべきことを逆算してそれに基づいて行動することが求められるが、人生に求められるのもそういうことではないのか。お前にいま1番必要なのは、そういうことではないのか。

そういう趣旨のことを話した。

姉の結婚式はチャペルで、うちはクリスチャンではないから誓いの言葉なんかは形式だけのことなんだけれども、それでも祈りを捧げるっていう行為はそれ自体で一種の神聖さをまとっている。 不確定な未来に己の願いを投射して一心に祈る、祈りっていう行為は非合理的なものなんだけども、迷いがない。迷いがないという一点をもってして、あーだこーだと屁理屈をこねて石橋を叩き割るような生き方を超越する。 生涯の伴侶をきめることは、薄氷の上をダッシュで駆け抜けるようなもんだ。不確定要素が多すぎて、それでも決意するしか道はなくて、だからそういう決断をした姉を尊敬していて、人生のどこかで折り合いをつけて"祈る"ことを決意した人間に対しては誰であれ敬意を抱くが、最終的には俺だって決断をしなければならないんだけど、なんとなく叔父の言い方にはもやっとしたもんが残った。言ってることは間違ってないと思うけど。

店の前でタクシーを待ちながら 決断…決断、ね…、とつぶやくと、「そうだよ!!」と叔父は怒ったように言った。「お前が決断しないで誰が決めるんだ」

叔父は、かんぽの宿に泊まるとのことだった。郵便局員は一泊500円で済むらしい。

郵便局員は薄給だけどなぁ」 目が座っている。ふだんゴールデンレトリバーみたいな叔父が、タチのわるい絡み酒をするオヤジみたいな喋り方をした。押し固められた鬱憤が酒で溶け出してきていた。 「福利厚生は充実してるんだよぉ」 愚痴とも自慢とも、諦念ともとれる調子で言った。

結婚式の余興、本番前、兄がやたらとはりきっている。こんなもの、適当にすませばいいのに。

東京の法科大学院を中退後、弁護士になる目標をとっとと放棄して地元に帰ってきた兄は、めきめきと太り襟の伸びきったシャツとパンツ姿で家のなかを徘徊するようになった。くたびれたシャツにくっきりと浮かび上がるぱんぱんに膨らんだ腹と、動作のひとつひとつの合間に溜息ともあえぎともつかない声を挟む、まだ28なのにくたびれきった老人みたいな動作にはイライラさせられたが、なにより嫌だったのは地元に帰ってきてからやたらと家族に気を使うようになったことだ。

家族の誕生日には必ずプレゼントを買い、結婚式の余興練習は兄がいちばん率先してやった。

俺にはこれが、家族のためを想いその一員として立派にやっていく表れというより、地元に落ち着き、そこで安泰して暮らしていくための布石にしか思えなかった。 東京からドロップアウトし、いまここでほとんどフリーターに近い状況で暮らしていることの、周囲への言い訳とおもねりにしか見えなかった。俺をイラつかせたのは言い訳をしていることではない。自分のいまの状況を良しとし、そこに安寧しようとしていることだ。まだ28なのに人生を悟りきったようなつもりになり諦念の境地に達したかのような兄の舐めきった態度と生活は、俺の神経を極限までに逆なでした。

二次会に集まった代わり映えのしない親戚たちに、くたびれきった叔父に、28にしては老け込みすぎた兄に、抱く憎悪は、変化を拒み流れを断ち切り、溜まり淀みきった腐った水に対する憎悪だ。 島には山がない。水は地下へとつながる洞窟を石段を何段も降りて行って天然の地下ダムから湧き出るものを昔はわざわざ汲んでいた。川がない島の土壌は痩せていて、掘れば石灰岩がゴロゴロしている。木々が鬱蒼と茂る本島北部のヤンバルと違って動植物の種類もそんなに多くない。予備校への通学路の途中には弁当屋兼飲み屋の店があって、簡単な座敷を備えたその店には夕方になるとでっぷりと太った中年たちがどこからか湧いてきたようにわらわらとその店に集まり浅黒い肌を寄せ合って酒盛りをするのが外から見える。その近くには原付や125ccのスクーターに乗った中高生がたむろしていて、遠慮なくこちらに容赦無く視線を注いでくる。道路だけは島の財力に見合わず立派に舗装され、その両脇には街の景観など考慮したこともないと言わんばかりの粗末で簡素な外観のコンクリート建築の住宅がぽつりぽつりと建ち、空き地は背の高い雑草が生い茂げる。通るたびに陰鬱な気分になる。

「身体の芯からなりたいと思えるもんに、おまえはなれ」というのは、南木佳士の小説作中で、信州山奥の農家育ちで医学部を目指す主人公に母が投げかける言葉で、"身体の芯からなりたいもの"について漠然と想いを馳せてきた。

人の生き死にに触れてみたいと漠然と思ってきた。それは"身体の芯から"というにはまだ漠然としすぎていて、確固たるものではないのだけれども、少なくともどういう道に進みたいかと問われれば、そういう、血と汗の滲んで、必死の形相で嘘偽りのない、人が生きることの真実に漸近できるような、そういうのに就きたいと漠然と考えてきた。

三次会で父の兄が「おまえの親父は無理して医学部に入ったが、なにも偉い職種につくだけが幸せな人生じゃない。」と、俺が出世欲に駆られて医学部を目指し始めたはいいが失敗をかさね引くに引けなくなってると思ったんだろう、そういう"諦めることも大事だ"的なことを諭してきた。

医者もピンキリで、父が医療法人の理事を務める友人の家は清潔で、リビングはソファーの本革の匂いと木の匂いがした。かたやこっちは田舎医者の息子で、父は外ヅラこそ良いが友達がいないのでウチでは飲んだくれて身内に偉そうに社会情勢について自説を振る舞うのが毎日の習慣で、河合駿の古本を集めるのが趣味で黴のような文化の匂いしかしない。 これでも、離島の片田舎からは出世したほうだとは思うけど。

うちの一家の男どもは、頭はそんな悪くはないけど、世の中を渡ってくのが下手すぎると思う。人との繋がりを結ぶのが下手だから、得られる情報に限りが出てくる。そうすると思考の流れがとどまり淀んでいく。

「いまの時代はインターネットのおかげでクズっぽい人でも仲間を見つけやすくなった。皮肉とかではなくこれは良いことだと思う。問題はそのあとどうするかだけど」というツイートが思いのほかRTされてて、皆なんかその辺思うところがあるのだなと感じた。

ネットのおかげで触れられる情報は圧倒的に増えた。コミュ力や地域による情報格差もある程度までは埋まった。友達が多いやつにしかできない特権だった「自分の心情、近況を延々と誰かに聞いてもらう」ことが割と誰にでもできるものになり、しかも普段の生活圏外の人にそれを聞いてもらうことができるようになった。多分親父がいまの俺の年齢に触れてたのと倍の情報量に触れ、倍の発信をして、倍の機会に恵まれているだろう。これは大きなアドバンテージだ。親父の時代とは違う。

“変化し続けろ"がこの本の根底に流れるテーマだと思うんだけど、それが多分自分が忌々しく思っていることへのカウンターになるんだろう。糸井重里が「いまの自分の状況になにかヒントはないかと探している人には、きっとおもしろく読めるとおもいます」と帯にメッセージを寄せていて、おもわず「おもしろく読めるかどうかじゃなくてほかの自己啓発本と違って恒久的に役に立つ本なのかどうかが知りたいんだよ」と内心突っ込んだんだけど、そういう何かにすがろうとする姿勢こそがこの本で批判されているものなのだろう。

机について数時間経つけどエンジンかからない。

長崎の事件について父が、多分この人は自分だけの世界に生きてたんだろうと見当をつけ、その上で俺に語ったのが「人は社会から遊離して独りになることで、良くも悪くもものすごい量エネルギーが醸造される。それこそ時には人を殺してしまうほどの」ということだった。 「人に迎合するような生き方は、もちろんダメだけどな」父は言う。何か言いたいことがあるが適切な言葉が見つからず、心中にうずまくものの輪郭を掴みきれていないようだった。 「かといってあまりにも物事を頭で考えすぎて世の中からはぐれるのもキケンだ。理屈ばかりで考えすぎると、知らず知らずに社会から浮く」 父は親戚の集まった酒の席での俺の振る舞いについて言ってるのだった。

ごく親しい親戚がだけが集まるような酒の席での口上の述べ方には自ずと定まっていった様式のようなものがあって、主観的かつ情緒的に今日の祝いの席のめでたさを歌い上げ、そのあとこれからの発展を願って、乾杯、というのが定番のパターンなのだけれども、そういう様式美を皆で練り上げ、結束を確認しあっていく作業のなかで、俺一人が浮いていたらしい。

「教授の講義みたいだねぇ、とか言われてたぞ、お前」 結婚のめでたさを祝うのに、通過儀礼なんて言葉つかわねぇよ、ふつう、と苦笑しながら父は言う。いやでも、うちの親戚教職のひととか多いし、勉強するひとならあれぐらい言えるでしょ、と反論すると、勉強の意味が違うんだよなぁ、と苦笑の表情を保ったまま白髪混じりで短く刈り込まれた頭を掻いた。 まぁでも、俺が大学生のころは、すこしでもインテリを意識する学生は、取り憑かれたように本を読んで、そういう所謂”教養”があるのがふつうだった、俺も暇さえあれば部屋で本読んでさぁ、しかも部屋は狭いからすぐに本で埋もれるようにようになるんだ、だけれども当時の大学生はそれが一般的だった、と、北陸の年中どんよりとした曇り空の下で過ごした大学生活のことを語ってくれた。

「まぁ、あの口上を聞いて改めて思ったけどさ」 理屈っぽいよ、お前は、俺に似てな、とショットグラスに注いだ紙パックの合成清酒をあおりながら笑って言った。