20170312sun振り返り

機械を通じて、時は私たちの支配者となった。自由時間にのみ、或る選択ができるように見える。

しかし、私たちはたいてい、仕事を組織化するように、余暇をも組織化する。あるいは、完全になまけることによって、時の専制君主制に反抗する。

時の要請にそむく以外には何もしないことによって、私たちは自由であるという幻想をいだくが、実際には時の牢獄から仮釈放されているにすぎないのである。 (E.フロム「生きるということ」)

ほとんど計画倒れ。 初回からほんとにだらしなくて申し訳ない。

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20170312sun予定

必死のユーモア 誠実な青春

南木佳士医学生」帯より)

19:00仕事終了

19:30帰路へ✘⇒19:50

21:00帰宅✘⇒22:15

洗濯、リビング掃除、風呂、トイレ

これからの計画(勉強、家事)

✘電気料金支払い ✘宅配便配送

24:00就寝

しばらく試行錯誤しながらの日記付けになります。 すいません。

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20170311sat

他人との一体化の経験への欲求は、理想や確信に基づく連帯という最も高度な種類の行動のみならず、最も低級な種類の行動、すなわちサディズムや破壊の行為にも現れる。 それはまた、順応への要求の主たる原因でもある。 人間は死ぬことよりも、社会ののけものになることの方を恐れるからである。

(E.フロム著「生きるということ」)

07:30起床    久々の休みなのでゆっくり起きる。バスの出発時間に追われず時間を過ごすことができるのでとてもありがたい。

07:50入浴

08:40洗い物終了 たまっていはいたが外食が多かったためそこまで多くはなかった。

10:30洗濯機    キッチンの掃除

10:50  布団を干し、外出

12:15  到着、知人と食事

14:30  解散、家路につく

16:40 帰宅

このあと23:40頃まで寝てしまっていた。 家事の進捗とこれからの計画建て、ともに進まない。

明日は試食の派遣を入れてある。

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言葉について


 自分では明確に考えられているつもりでも、思考というものは言葉にしないとおぼつかない危ういものだ。
 思考をはっきりさせたいなら、その言葉はなるべく口頭ではなく文字にするのが好ましい。
 なぜなら文字は思考を精緻化すると同時に記録することができるからだ。文字に起こすことで思考の展開を記録でき、それを客観視することを可能にする。音声は、音声入力で文字起こしする場合を除いて、記録と客観視のどちらも行えない。
 頭のなかだけで組み立てられた思考は必ず齟齬が出てくるといっていい。なにかを考えつつ思考の論理展開をすべて覚えられるほどの脳の容量をひとは持たないからだ。

 文字に起こしながら思考することであいまいな論理展開を詰めていき、思考が飛躍して脇道にそれる のを防ぐことができる。秩序だった概念の箱庭を構築することができる。
 そうして精緻化された思考は誰かと共有可能になる。誰か、というのは時間を隔てた自分も含む。共有可能になった思考は実現が可能になる。

 自分では明確にわかっているつもりでもいざ言葉や文字にしようとするとうまく表現できないことが多々ある。
 身体の動きをイメージできたとしても、その通りに身体が動くとは限らない。少なくとも一度試しただけでイメージ通りに動けることはほぼない。身体の動きはイメージと実際の動きをすり合わせることではじめて支配できる。実際の動きをイメージと照らし合わせて修正していくことで初めてイメージ通りかそれに近い動きをすることができる。

 思考についても同じだ。実際に言葉や文字に起こし、イメージと照らし合わせて修正していくことで思考は形となる。形を得た思考は検証可能となり、客観性に照らし合わせることができる。ここで思考の選別が行われ、非合理な思考は打ち捨てられる。
 非合理な思考は人と共有できない。少なくとも自分と立場の異なる者とは共有できない。それでもなおその思考に拘泥する人間は狂人とよばれるようになるか、そうでなくとも孤立する。
 いっぽう妥当性が認められた思考は人と共有可能となり、力を得る。力を得た言葉や文字は自分や誰かを動かし、思考を実現化していく。そのような思考は必然的に法と同じになる。