パソコン詳しいひと多いと思うんで聞きたいんですけど、プログラミング技術を、なんか最近"教養として"身につけておくべきみたいな話をちょくちょく耳にしますけど、これってどういうことなんですかね。周りにそういうの強い人いないんでよくわからないです。

いやもちろん今は受験勉強を最優先させますけど。

受験勉強にしたって、詰め込んで受かってはい終わりー全部忘れたー飲み会サークルうぇーいってなるのが普通だと思うんすけど、それめっちゃ嫌なんすよね。積分が役に立つ場面があるはずだ。有機化学の知識が役にたつ場面があるはずだ。工業化学の知識がのちのち役にたつ場面が実際にあるはずだ。 1984の読書会したときに印象に残ったもののひとつに、主人公が労働者階級の集まるBARであまり頭の良くない老人にビール奢って昔の話を聴きだそうとしたけど結局”つまらない”話しか聞き出せなかったって落胆してる場面に、レモンさんが、「断片的な情報から意味を汲み取ってつなぎ合わせるのがお前の仕事であって、老人の話がつまらないのはお前の力が足りないせいだ」っていってたのがあって、それじゃないですけど、たぶん与えられたフィールドで与えられたことを黙々とやっても、自分の身に引きつけて自分で考える脚力みたいなのがなかったら、単なる暗記マシーンで終わってしまうとおもうんですよね。暗記マシーンの優劣を比べる競争でしかなくなってしまう。

たぶん浪人初期からぼんやりと感じていた違和感を敢えていま一側面から捉えて言語化するとしたら、こういう「勉強してなんになるの」ってことだと思うんすよね。で、それの答えは「お前が考えろ」なんだと思うんですけど。 ブルデュー文化資本じゃないですけど、そういうのって周りの人間に左右される。そういう点ではネットある時代に産まれてよかったなと思いますけど、それだけじゃもちろん足りないわけで、自分からキャッチしていかないといけない。

そんなことを考えながら勉強してきた結果がいまの惨状なんですけど、じゃあなんも考えずにとにかく与えられたものをこなして受かってそのあとどうなってたんだろうってことを考えると。。。。。。たぶん遅かれ早かれつまずいていたんだろうなと思う。どのみちこの数年の逡巡は必要だったんじゃないかと。

それにしたって遠回りをしすぎではあって、いまの惨状はもうちょっとはマシにはできたのは確かなんだけど。